労働法軽視「偽装経営者」の温床になるか?市民会議提案の労協法案を考える(JANJAN記事)

上田仁2008/09/02
労働者協同組合は、労働者が出資金を出し合い、労働者が協同経営を行い、自ら労働に従事する、出資・経営・労働の合一した「新しい働き方」として注目を集めつつあります。法案が「労働を商品としない」との労協の本旨に相反するのではないか、ワーキングプアの新たな火種となりかねないとの不安を禁じえません。

http://www.news.janjan.jp/living/0809/0808315930/1.php

■ 労協法案について

 「協同出資・協同経営で働く協同組合法」(労協法)制定の動きが活発化しつつあります。2000年に設立された「『協同労働の協同組合』法制化をめざす市民会議」を中心として、各地で活発に地域市民集会が実施され、また今年2月には「協同出資・協同経営で働く協同組合法を考える議員連盟」が発足しています。日本においては、農協や生協などの協同組合がその目的と根拠法に基づき法人格を持ち経営されていますが、労働者協同組合は、その根拠法を持たないことから「人格なき社団」としての経営を強いられ、あるいは便宜的にNPOや企業組合等の法人格を選択しての経営を行っているようです。

 労働者協同組合は、労働者が出資金を出し合い、労働者が協同経営を行い、自ら労働に従事する、出資・経営・労働の合一した「新しい働き方」として注目を集めつつあります。筆者は労働者協同組合がその根拠法を持つことに反対するものではありませんが、市民会議の提案する法案(素案)を精査すると、法案が「労働を商品としない」との労協の本旨に相反するのではないか、ワーキングプアの新たな火種となりかねないとの不安を禁じえません。率直なところ、学識者が労協の労働現場を知らずに起草したのではないかと感じます。

■ 労協法案第2章第5条(従事組合員等の法的地位)における労働者性の軽視

 市民会議のサイトに法案骨子および法案素案が掲示されています。労働者協同組合は、前節にて記載の通り、出資・経営・労働の合一を特徴とするものですが、市民会議による法案には、出資・経営の強調の一方での「働く人」の労働者性の軽視が見られると感じます。

 法案(素案)第2章第5条「従事組合員等の法的地位」によれば、「(1) 雇用保険に関しては、従事組合員を(中略)同法を適用 するものとし、労働者災害保険法に関しては(中略)同法を適用するものとすること」とされ、ここにおいてはその他の、労働基準法をはじめとする労働法は一切その埒外とされています。

 法案骨子の「従事組合員の労働者性」を読むと、「『ワーカーズ協同組合』法人は、『バランスを持った人間らしい働き方』を理念としており、その最低保障のため、組合法人を<使用者>、従事組合員を<労働者>として、法の保護下におきます」とあります。「最低保証のため」に「法の保護下にお」くということにご注目願いたく思います。つまり、労協法案における「労働者」の定義は、「雇用保険法」および「労災保険法」におけるものに限定され、労働法における「労働者」としての権利は上記2法を除いて保証しないということです。労働基準法労働組合法、労働者派遣法、最低賃金法等における労働者の権利を保証はしないとのこと。

 明治大学経営学部専任講師の小関隆志氏がネット上にて労協関連論文データベースを公開されていますが、1999年の労協法案第1次案の段階においても、労協研究者から労働者保護規定が不十分との指摘がなされています。また、その一方では「(労協内において)労働組合の結成は問題ないが、団交やストはできない。団交やストを認める憲法の考え方を再検討すべき。」(上記DB記載による。『協同の発見』91号・野川忍氏)との恐るべき主張もなされています。

 昨今、非正規労働者の「請負偽装派遣」「日雇い派遣」や、正規労働者の「名ばかり管理職」、あるいは「偽装個人事業主」がワーキングプアの温床として告発されていますが、そこにおいては、労働者の権利を守るものとして労働法が最大限に活用され、さらには個人事業主についてもその労働実態に応じて労働者性が認められています。労働法は、労働者を文字通り、命を繋ぐだけの「最低限の保証」から、人間的尊厳のある生活・仕事に従事できるように歴史的につくられてきたものですが、労協法案には、これに関する目配りが一切無いと考えます。

 法案の指し示すところは、「バランスを持った人間らしい働き方」とは相反するものです。

■ 労協法案第1章第8条(登記)は「偽装労協」を産み出すか?

 第1章第8条を見ると、法人としての労協の設立は、既存の協同組合の認可制とは異なり、登記によるものとされています。つまり、普通の会社登記と同じ事です。これは労働者協同組合の設立を容易たらしめるものであり、「新しい働き方」としての労協の拡大には肯定的に捉えるべきと思いますが、前節にて指摘した労働者性・労働法軽視の条文案とあわせて考えるならば、「労働法の縛りのない経営を容易に設立可能である」との結論が導き出されます。

 比較的容易に設立可能とされた法人格として特定非営利活動法人NPO法人)が思いつきますが、圧倒的多数の真面目に活動をするNPOの存在の一方で、NPOを隠れ蓑にした、いわゆる「偽装NPO」の存在も告発・報道されています。また、「働き方の多様化に対応する」と称した99年「改悪」労働者派遣法が大量の非正規雇用を産み出しワーキングプアとして社会問題化していることも周知のとおりです。2000年よりの介護保険制度の導入においては、コムスン等の営利企業介護保険市場に大量参入し、長時間労働・低賃金・利用者軽視の温床となったことも合わせて指摘したく思います。

 市民会議の法案骨子および素案を読むに、これでは労協法は「雇用・被雇用の立場を超える」どころか「雇用以下の労働条件」で働く根拠法となりかねないのではないでしょうか。最悪のケースとしては「偽装労協」の発生さえ予想されるというのは考えすぎでしょうか。

■ 労協の労働現場で何が起きているか

 2003年の地方自治法の改定により指定管理制度が導入されました。労働者協同組合も、ワーカーズコープ労協センター事業団により設立されたNPOワーカーズコープによるものを中心に各地で公の施設の指定管理者として選定されています。JANJANにてもEsaman氏の記事にて報じられていますが、NPOワーカーズコープが指定管理者として選定された名古屋市の施設「なごやボランティアNPOセンター」の第2次指定管理選定においては前管理者が「到底できないような価格で提案を行い、文字通り仕事を『かっさらっていった』」とされており、労働条件の切り下げを暗示させます。指定管理の選定者である名古屋市の顔色をうかがう中で、当該NPOセンターでは、労働組合や職員に対するパワーハラスメントも行われているようです。

 また、1994年には、センター事業団の生協職場への進出について全国生協労働組合連合会より、事業団の「雇用・被雇用の関係が無い」との主張について、「労働者から団結権・団交権を奪い、自発的・自主的に働かせるという、雇用者にとって都合のよい話」「内外の労働者の賃金・労働条件を抑制する」との指摘もなされています(前述の小関データベースによる)

 労協内部でも「雇われ者根性の克服」と称して、労協労働者の経営者的側面を過大に強調することが行われているようです。このようなことを知るに、市民会議提案の労協法案が、このままでよいのか、との危惧を大きく抱くものです。

■最後に

 1999年に日本労働者協同組合連合会が発行の「21世紀への序曲・労働者協同組合の新たな挑戦」に中西五洲・元日本労協連理事長がよせている文章で、労協運動の問題点として「労働者協同組合を私物化する誘惑は根強いものである。この被害を受けている範囲は予想以上に広く深い。これを防ぐ最良の手だては、民主主義である」とされています。

 現在の労協運動の弱点として、政府による90年代末以降の新自由主義政策に対応した形での運動ということを感じるものです。しかしながら、それと同時に、新自由主義政策のもとであくなき営利追求に走る企業に対して、労協運動が有効なオルタナティブたりえることも、筆者はまた期待するものです。

 そもそも、労協運動は、労働運動の中から発生した運動であり、願わくば、労協運動が経済民主主義・労働者の権利の保障というその原点に立ち戻り、労協法にも労働者保護の観点が反映されることを望みたいと思います。

関連サイト
「協同労働の協同組合」法制化をめざす市民会議
ワーカーズコープ労協センター事業団
<労働者協同組合研究のまとめ>(明治大学経営学部専任講師・小関隆志氏による)
(あわせて大原社研より公開されいている小関氏の論文も参照されたい)

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