ホームレス支援のアルバイト職員自身がホームレスに

「なごやボランティアNPOセンター」当局の巧妙な嫌がらせで

さとうしゅういち2009/06/10

http://www.news.janjan.jp/area/0906/0906074685/1.php

なごやボランティアNPOセンター なごやボランティアNPOセンター

 NPO法人ワーカーズコープ(センター事業団)が指定管理者のなごやボランティア・NPOセンターでは、2008年4月の指定管理者を前任者から変更しての受託直後から、ワーカーズコープ当局によるKY解雇事件、労組の柴田委員長への嫌がらせなどの問題が続発しました。

 そして、一度は約束したYさんの常勤化に対しては約束の反故(ホゴ)とシフトの激減、Yさんの激減した収入を補うため当局が提案してきた出向先に出向いたら、実は仕事がなかったという、いわゆる「脳内出向」などのいやがらせ、組合つぶしのために、職員8人の事業所に10人近くの「応援」と称する当局側職員の投入、労働者代表選挙への当局の介入などの異常事態が続いていました。


■解決大幅に遅れ、家を失う

 いやがらせの被害者であるYさんですが、かつて月収が20万円程度あったのが、いまや8万円ほど。生活保護基準以下の収入になってしまった上に、当局側のいやがらせなどにより、家賃の滞納や健康状態の悪化に追い込まれていました。そして、そのYさんが、いまやホームレス状態にあることが発覚しました。

 当局側が一方的にシフトを削減して数ヶ月がたった2008年末頃には、既に病院にも通えず、家賃も払えない状態になっていたそうです。

 Yさんの加入する組合も、当初は「シフト削減は2ヶ月で解決を目標に」といっていたそうですが、ワーカーズコープ側は、組合関係者の予想を超えた、あまりに非常識で一方的な対応をしてきたために、生活保護基準以下の生活が、ずっと長引くことになってしまいました。

■シフト直前まで知らせず、バイトも入れにくく

 減ったシフトの合間を縫ってバイトを入れようにも、当局側はシフトの発表を直前にしか発表せず(以前は半月前には分かっていたそうです)、バイト探しもままならないばかりか、他の仕事を入れようとして空けてあった日にわざとシフトを入れてきたりと、いやがらせを繰り返していたそうです。

 一度などは、NPOセンターにもチラシが配布されている、Yさんを講師として半年前から計画されていた講座の日に、わざとシフトを入れて、「なぜ出勤できないのだ」などと迫ってきた、ということもあったそうです。

■友人宅を転々と

 Yさんは、ホームレス支援などにも携わっていたので、いずれ自分もホームレスになることを予測して、知り合いのうちに分散して荷物を置かせてもらうなどをして、ひそかに準備をしていたそうです。

 Yさんによると「ネカフェに泊まる場合は、コストもかかるが、日中の荷物の置き場がないことが一番の問題」だそうです。

 そして、アパートを失ったあとも、複数の友人の家に泊めてもらったり、時々ネカフェなどに泊まりながら仕事に通っていたそうです。

 Yさんによると、「ホームレスになったとしても、ずっとひとりの家に世話になり続けると、相手も辛くなって、長続きしない」とのことで、「○曜日はAさんち、○曜日はBさんち」という感じでシフトを組んで、それぞれの友人には、週に1日づつ世話になることで、なんとかしのいでいたそうです。

 友人宅に世話になるといっても、タダというわけにはいきませんから、料理を作ったり、その友人のほしがっていたものを探してきたりして、いろいろと気を使ったとのことでした。

■当局の巧妙な「生殺し」

 結果としてコストも時間もかかわるわけです。新しく家を借りるには、敷金、礼金などで、安いところでも20万円はかかり、まとまったお金を用意するには、生活保護基準以下の生活では無理です。バイトをしようにも希望シフトを無視して仕事を入れられてしまうし、発表が異様に遅いので、他に選択肢もなかったそうです。

 このような『ホームレス状態』のまま、なごやNPOセンターには5月ころまで、数ヶ月以上出勤していた、ということです。

 こんな人は、そうそうはいません。派遣切りの人の場合は、「失職=住居喪失」ですし、生活保護受給者の場合のように住居があって失職している人ももちろん、多くおられます。

 ですが、Yさんの場合は、ワーカーズコープに「生殺し」にされて、結局、問題が解決しない間に、「徐々にホームレス」になってしまったのです。

 仕事があるにもかかわらず、労働条件を一方的に悪化させられて、ホームレスになってしまった人、というのは、ほとんど聞いたことがありません。

■自身もホームレス支援に現在も従事

 ホームレスになった人たちの苦労話や経験をたくさん聞いているYさんだから、生活保護基準以下の状態になって家を失っても、なんとか仕事を続けられていたのではないかと思います。

 Yさんは、自身がホームレスになってしまってからも、時々ホームレス支援や派遣村の現場に出かけて手伝いやボランティアをしていたそうです。

 そして、時折、NPOセンターに駆け込んでくるホームレスになった人達の相談にも熱心に乗って、支援団体や役所で利用できる制度、緊急の場合に夜露をしのげる場所などを紹介していたそうです。

 当局側は、市民が誰でも立ち寄れる場所であるボランティアNPOセンターに、ホームレスになった人たちが相談にやってくることを無視したり、時折追い返そうとしていたそうですが、Yさんだけでなく、他の職員の理解と協力もあり、何人もの相談者を助けることができたそうです。そのYさん自身が、既にホームレスになってしまっていたとは、誰も知らなかったそうですが。

 NPOセンターは、ボランティアをしてほしい人、したい人と、ボランティア団体とを繋ぐことも大切な仕事の一つです。ホームレスになってしまった人の相談は、NPOセンターを利用している支援団体との『縁を繋ぐ』立派な相談業務の一つであると、Yさんは語っていました。

 さすがにNPOセンターで直接「支援」するわけにもいかないのですが、相手の状況をよく聞いて、利用しやすい情報を提供したり、NPOを紹介したりすることで、かなりの人が「なんとかなっていった」そうです。その中には、マスコミの長期の取材を受けて報道された人もいるそうです。

 Yさんはホームレスになった人達の相談に乗ることは「相手の話を理解して、合いそうな情報や団体を紹介する。相手の要望や活動への理解力が試される、やりがいのある仕事です」と語っていました。

 当局の仕打ちにはわたしも心から憤りを感じます。それとともに、Yさんにみられるような、困窮している当事者同士の支えあいの構図に、わたしも深く考えさせられました。

 当局の仕打ちによって、生活環境だけでなく、病気まで悪化してしまったYさんは、ホームレスの一時保護施設に入るということです。



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