[新聞報道][越冬]生存権確立願い、名古屋で「初詣デモ」行われる

さとうしゅういち2009/01/05
1月2日、名古屋市で行われた「1.2 新春早々やっちゃえデモ」に参加しました。広島や岡山でも、大手企業の無責任な対応もあって失業者増大で惨状が広がっています。トヨタのお膝元・名古屋のそれも他人事ではないと感じました。

http://www.news.janjan.jp/area/0901/0901034638/1.php

名古屋「初詣デモ」・映像

わたしが突然かぶせられた獅子舞

1月2日、名古屋市で行われた「1.2 新春早々やっちゃえデモ」に参加しました。

 わたしは、「準地元」岡山でも、12月28日から、元旦まで、炊き出しに参加させていただきました(関連記事)

 広島や岡山でも、大手企業の無責任な対応もあって失業者増大で惨状が広がっています。トヨタのお膝元・名古屋のそれも他人事ではないと感じました。

 まず、たちまちは目先、行政だけで対応できていない部分を補うため、支えあいに参加する。一方で、そして、デモに参加することで、「仕組みとして社会を変える」ことにも貢献できれば、と思っていました。

 わたしは、12時半ころ、名古屋駅に到着。主催者のEsaman記者に電話を入れると、びっくりしていました。

■新人運転手に「名古屋の惨状」実感
 ただ、途中で道に迷ってしまいました。そして、タクシーを拾ったのはいいのですが、ぜんぜん違うところに下ろされ、あせりまくりました。

 その運転手さんは、どうも地図を見ながらの運転で、明らかに新人。身の上を聞くわけにはいきませんが、かなり高い確率で、最近の景気後退で失業され、タクシー会社に就職されたことが推察され、「名古屋の惨状」をいきなり実感させられました。

デモ風景

■いきなり手づくり獅子舞をかぶせられる!
 デモの隊列には、外国人も若者も年配者もおられ、約30人が参加しました。

 わたしは、出発早々、いきなり、青いシートと、段ボールで作成した獅子舞を被せられました(笑)。

 「お正月だから、獅子舞、ということで、誰かから借りようとしたが、借りることが出来ず、仕方が無いので、手近な材料で作りました」といいます。貧乏なら貧乏なりのやり方がある!それを実感しました。沿道の人も、気のせいかわたしにかなり注目していたように思えました。

 そして、「最低賃金どうなった?」「水際作戦大迷惑!」「年金改悪大迷惑!」などとコールしながら名古屋市内を練り歩きました。

 鐘や太鼓をたたきながらの手作りのデモでした。

NPOセンター前では、ワーカーズコープに抗議!
 デモ隊は、経営側の暴走が続くなごやNPOセンター前も通過しました。メンバーは、「松垣所長は、組合つぶしをやめろ!」「理事長は約束をまもれ!」と叫びました。

 デモ隊が到着後、esaman記者が、なごやNPOセンターで年を越してしまった異常事態について報告しました(関連記事)

 また、ロストジェネレーションを代表して、「氷河期世代ユニオン幹部」の方からも挨拶。

 さらにわたしからは、広島から参加した動機について「広島人にとっても、名古屋の事態は他人事ではない。公務員の仕事は生存権を守ること。しかし、仕事では行き届かない部分を炊き出し参加で正月返上で補ってきた。しかし、やはり、公務員が生存権を仕組みとして守る国にするため、デモに参加した」と訴えました。

参加を呼びかけるボードも掲げた

■多士済々の参加者
 参加者は多士済々。

 「部長に昇進した直後、会社がいきなり消滅した」という男性。なんと、「昼飯から帰ってきたら、会社が閉鎖され、消滅していた」という信じられない話でした。

 「仕事が無くなったので、いったん帰国する」というスリランカ人労働者もおられました。彼は、スリランカ人労働者を組織し、名古屋での反貧困運動では中心的な役割を担っておられました。「世界中、大変だよ。このままでは、世界中で革命が起きるよ。」と「予言」しました。

■「厚生労働省陥落」の夜、「生存権確立元年」願い、大須観音
 この後、デモ参加者一行は、大須観音に初詣を行いました。

 この年末年始は、岡山での炊き出し、名古屋でのデモ参加、さらに越冬闘争支援と、「生存権確立」のため、自分で何ができるか、ということを念頭に置き、微力を尽くしたつもりです。

 このころ、東京では「厚生労働省」が「陥落」しました。派遣村の労働者に講堂を開放したのです。

 それ自体は「よいこと」ですが、そもそも、公務員は「仕組みとして国民の生存権を守る」ことが仕事です。講堂を開放せざるをえない、というのは結局「仕組みの破綻」なのであり、政治家や高級官僚は猛省すべきです。

 地方は既に小泉時代から経済は悪かったのです。都会に働きに出る若者ら(年配者も実は多い)が増え、今回の局面でこういうことになったわけです。

 「えらい人」が「東京」の「強者」しか見てこなかったつけが噴出したのです。現実が見えないまま戦争をはじめ、本土決戦直前まで戦争を続けた大日本帝国陸海軍とダブって見えます。

 一年後には、自分が行政職員として、もっと「仕事として生存権を守れる仕組み」になっていることを観音様に願いました。3日午後、岡山での炊き出しに戻り、そして、5日からの仕事に戻りたいと思います。

生存権確立元年を願い、大須観音へ。このころ、ちょうど、東京では厚生労働省が「陥落」した