名古屋派遣切り最前線・野宿しつつも仕事を探す若者

Esaman2009/02/08
何度か報告を書いている、派遣切り最前線のひとつ、名古屋・中村区役所の続報です。

http://www.news.janjan.jp/area/0902/0902056873/1.php

中村区役所、午前中の様子。多数の人が整理券を手に待っている。(写真は全て2月2日撮影)中村区役所、午前中の様子。多数の人が整理券を手に待っている。(写真は全て2月2日撮影)

 何度か報告を書いている、派遣切り最前線のひとつ、名古屋・中村区役所の続報です。

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 1月5日の中村区役所の仕事はじめ以来、現場に来れる人同士で対応してきましたが、支援活動の長期化に伴い、実行委員会が立ち上がりました。

名称:名古屋生活保障支援実行委員会(仮称)
連絡先:〒453−0014
名古屋市中村区則武2−8−13笹島労働者会館3笹島診療所気付
開所日時:火・金曜日、午前9時30分〜午前12時30分
電話番号、メールアドレスなどは、近日中に取得する予定です。

●笹島診療所が連絡先になっていますが、診療所の活動時間中に多数の電話がかかると、本来の活動に支障が出てしまうので、電話での問い合わせは、なるるべくお控えください。

 また、中村区役所では、生活保護の申請がOKになってもなお、連日100人を超える人が並んでいます。毎日やってくる100人のうち、だいたい30人ほどが新規申請の人、残りが通院や宿の更新手続きで継続して来ている人のようです。支援の人たちは、訪れた人たちに聞き取りをして、申請が当人の意志に沿った方向で受理されるように、手伝っています。ずっと支援に関わっているスタッフの話によると……

 「申請を受理しなかったり、当人の希望とは違う内容に変えてしまったりする『水際作戦』は、支援のひとたちの活動も功を奏してか減ってきている。また、非常に厳しい現実から、中村区役所の職員の対応も、全体としては、少しづつ良くなってきている。しかし、中村の職員にも、一部とはいえ、酷い対応をする人もいるようだ。また、応援で来ている職員の中にも、その人の職場ではそのような対応をしているのか『水際作戦』のようなことをする人も時々いる。そのようなこともあるが、全体としては、よい方向に変化しつつある中村の現場をみて、各区役所の職員も、水際作戦の間違いを学んで帰って、それぞれの区役所での対応を変えてほしい」とのことでした。


 現場での詳細な話は、前回の記事でかいた通りです。変化としては、徐々に若い人の姿が目立つようになっています。若い人たちの多くは、派遣切りにあって路上に出た後も、所持金の続く限り自力でがんばって、地下鉄や高架下、非常に寒いときだけネカフェなどで寝泊まりしつつ、それでも職を探して荷物を抱えて歩き回り、本当にどうにもならなくなってから、人に聞いたり、職安で聞いたり、警察に聞いたりして、中村区役所にたどりつく、というパターンが多いようです。「仕事が嫌だから」路上生活をしているわけではありません。まだ20代でも仕事がないのですから「派遣切りの若者」以外の人たちは、もっと惨い状態にあります。

 今回は、中村区役所で出会った、典型的な「派遣切りの若者」の話を紹介します。

法律家による相談窓口も開設された。月・金の午前中に相談に乗ってくれる。法律家による相談窓口も開設された。月・金の午前中に相談に乗ってくれる。

 「10代で故郷を出て、ずっと住み込み派遣で働いてきた。多くの場合、住み込み派遣の待遇は悪い。家賃や光熱費などを引かれて、手元に残る金額は10万円を越すことは絶対にない。多くの場合、8〜9万。生活保護と同じ程度。いままで働いた中では、滋賀県での派遣の仕事がもっともひどいところで、『仕事がないから明日から1週間休んでいいよ』などと言われて、仕事がなくなることがあった。『休み』といっても、給料は出ない。でも家賃や光熱費は取られる。

 仕事のある日は、家賃や光熱費分として、1日数百円の補助が出ていたが、それもなくて全部自腹になる。そこでの給料は、色々と引かれた後、月に2〜3万しか支払われないこともあった。住み込み派遣の仕事は、ある日突然『出て行ってくれ』といわれる。

 その日に突然解雇されて、家を出ていくことになったことも4〜5回あった。ひどいところでは、出て行けと言い出したその日に、アパートの外に荷物を出してしまって、そのまま放置。次の住み込み派遣先が決まるまで、野外に荷物が放置されることになったことも。出ていくまで、1週間ほど猶予があるときもあるが、その日にうちに出ていけ、という話もたくさんあった。担当者によるのかもしれない。そして、追い出されてから、次の仕事先を探すことになる。もちろん家はないので、探すとしたら、また住み込み派遣の仕事しかない。その間は野宿。

 多くの場合、荷物を送る先もないので、自分で買った家財道具を置いて出ていくことになる。そんな生活を10代のころから繰り返してきた。今回は、12月のはじめに、50人ほどまとめて、その日に解雇を言い渡された。トヨタと関連のある製造業。すぐに出ていけと言われたが、労働基準監督局に電話をして指導してもらい、なんとか年明けまでは住めることになった。そして年を越してまた住み込みで派遣の仕事を探したが、いつもと違って、まったくみつからない。

 夜だけネカフェに泊まり、昼は地下鉄などで過ごしながら、仕事を探し続けた。障害者用のトイレなどで寝たこともあったが、警察を呼ばれそうになったこともあった。とても惨めな気持ちになりました。どうしようかと路頭に迷っていると、駅前の路上でアクセサリーを売っている人に、笹島診療所のチラシをもらった。その人は、自分でネカフェに泊まりつつ仕事を探しても、じきにお金がなくなって、気力もなくなってしまうだけだから、早めに相談に行ったほうがいい、ということを教えてくれた。

 でも自分の力で仕事を探そうとしたが、案の定、まったく仕事はなく、言われた通りの状態になってきた。それでも、1枚50円のカイロを買って、なんとかしようとしていたけど、どうにもならなかった。暖かい飲み物は、すぐになくなってしまいますが、カイロは10時間以上持つので良いです。野宿していて、足の根元にカイロを張っておくと、体が冷えないことがわかりました。そうしながら、何度ハローワークに行っても、連日仕事はゼロ。募集件数がゼロなので、面接もできない。

 よく『贅沢言っているだけで、仕事はあるはずだ』などといっている人がいるけど、あれは嘘です。募集は1件もありません。もっとも、住み込み派遣の仕事も、いつもあって4〜5件なので、多いわけではありませんが、いまはゼロです。自分のつけない、専門的な資格のいる求人も、全体で50件もありません。そんな状態になって、路上アクセサリー屋さんにもらったチラシを思い出して、申請にやってきました。あのチラシがなかったら、今頃、どうなっていただろうと思います。

 派遣で働いている間は、仕事もきついし、手元に残るお金もないので、とても貯金できる状態ではありませんでした。毎回、家財道具を捨てて、体ひとつで追い出されることになって、次の仕事を探すといっても、家のない状態で探すハメになっていました。一旦、このような状態になると、次の仕事の選択肢も、住み込み派遣しかなくなります。そして、同じことの繰り返しになります。仕事がなくなるのと同時に、家もなくなります。次の仕事がみつかっても、多くの場合、次の住み込み派遣の現場も、まったく別の場所ですから、荷物を預けられる友人もいませんし、職場でできた友達は、ほとんどの場合同じ日に路頭に迷うことになります。

 住み込み派遣では、もう二度と、働きたくありません。製造業などで派遣が認められている間は、自分のような目にあう人が、ものすごくたくさんいると思いますから、派遣という雇用形態は、禁止にしてほしいと思います。

 現在は、松竹梅という、ドヤで泊まっています。生活保護の申請が通ってアパートで暮らすことができるようになったら、今度は、住み込み派遣ではない仕事をみつけて、生活できるようになりたいです」

中村区役所、午後の様子。まだまだたくさんの人が待っている。中村区役所、午後の様子。まだまだたくさんの人が待っている。

 この若者、働くようになってから10年も経っていません。その短い間に「その日に解雇されて出ていくこと」を4〜5回も経験しています。さらには、その経験が、とくに「ひどい経験」というわけでもなかったようです。今回は、追い出されてすぐに次の仕事が見つからなかったことにより、野宿状態から抜け出せなくなっただけで、いままで何回も、短期間の野宿状態になっていたのです。彼の話を聞いていると、少し前に騒がれた「ネットカフェ難民」とほぼ似たような状態の「派遣難民」に、働いている間も陥っていたことがわかります。ただ、ネットカフェに滞在する時間が少ないのと、仕事は途切れ途切れでもあるので「見えない状態」になっていたのでしょう。

 この方の、今回の生活保護の申請は、半年などの期間の区切りはないそうです。噂されていた「半年限定で、生活保護専門の業者に入居して生保」という話は、彼の場合は適応されないようです。ですが、生活保護の人を対象にしたアパート業者(?)の入居案内は、まだ中村区役所の壁に貼ってあり、そのような入居の斡旋も、高齢の人の場合は行われているようです。

 「生活保護の人を対象にしたアパート業者」ですが、まさに「貧困ビジネス」だと批判する声もありますし、実際に、そうなんだろうと思います。ですが、高齢で生活保護を申請する人の中には、アパートでの、完全な一人での自炊生活が困難な方も、それなりにいます。笹島診療所では、生活保護を取ってアパート入居したあとの生活のことも、重要な支援として活動をしています。

笹島市民フォーラム2007、雨宮処凛さんトークライヴ 2007/12/11 (食事会の活動が紹介されている)


 実際、日雇い労働や、野宿生活が長かった人の多くが、いきなりアパートで自炊をするのは、料理が好きな人以外は、難しいかもしれません。そのような人たちを対象として、保護費の枠の中から運営できるようにしたアパートを「ビジネス」とするのは、それだけで悪いこととは、言いきれないとも、思います。ですが入居した人の話では「糖尿病食で、少なくて不満だ」「ほとんど手元にお金が残らない」「職員の対応が悪い」などという声も聞こえてきます。もっとも、糖尿病食が少ないのは、当り前なのですが、その「少なさ」が、はたして手抜きなのか、カロリー計算の結果なのかまで、取材した範囲では、よくわからないので、なんともいえません。

 最近では、中村区役所の現場には、マスコミの取材も、よく入るようになってきました。また、法律家の人たちが相談窓口を設置して、ボランティアとして活動してくれる、という強力な助っ人もやってきました。名古屋で「派遣村」ができるかどうかは、わかりませんが、今後とも注目していきたいと思います。
◇ ◇ ◇

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