笹島市民フォーラム2007、雨宮処凛さん(JANJAN)

山田さんと雨宮さん。トークライブとい

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 笹島診療所の市民フォーラム2007・雨宮処凛さんトークライブ『生きさせろ! 貧困社会を生き抜く』が、11月25日、名古屋伏見にある伏見ライフプラザの12階で開催されました。130人が定員の会場には、130人をやや越す人たちが集まり、席が少し足りなくなりそうになりました。主催は笹島診療所(http://www4.ocn.ne.jp/~sasasima/)です。

 はじめに、笹島診療所の山田壮志郎さんが挨拶をされました。

山田:この市民フォーラムは、笹島診療所の活動を紹介して、みなさんに参加をしていただくために開催したものです。診療所の活動と雨宮さんの活動は、貧困の問題という点では通じている部分があると思います。雨宮さんが現在のような活動に至るきっかけはなんだっのでしょうか?

雨宮:私は『生き辛さ』を追いかけています。中学の時にイジメがあり、その対策が学校では十分にされていなかった。また、イジメられている人が相談をすると、かえってイジメがひどくなっていくというのを見てきました。高校になるとイジメはなくなったのですが、そうすると今までの事に怒りを感じはじめました。学校で友人をもつと、またイジメられたときに失うので距離を持つようになりました。リストカットをはじめたのも、この頃です。

 この時期、親が自分を怒るときに『中学の時はマジメだった』と言っていましたが、中学の頃は、せめて親には認められようと、必死になって勉強をしていました。たいへん苦しく『狂っていた』状態だったと思います。その自分に戻れということは『死ね』という意味です。当時はバブル全盛の頃でしたが、バンドの追っかけなどをして、路上で寝泊りしたこともありました。野宿といっても北海道ですから、マイナス何度ですから、死ぬかもしれない。行く場所も金もない。帰る場所はあるけど戻れない。この経験がホームレスの取材をしている原点です。そして東京に出て美大を受けようとしましたが諦めます。するとバブルが崩壊。フリーターとして暮らすようになりました。それまで、なにをするにも『将来のため』といわれながら、気が狂いそうなほどがんばって来たのですが、その『将来』が、すべてなくなってしまったのです。

 そして大震災と地下鉄サリン事件が起こりました。自分と同世代の人達がおこした事件に大きな衝撃を受けました。あの人たちを否定できなかったのです。自分は、戦後の日本に『ウソをつかれてきた』と思いました。オウムの人たちがうらやましかった。そして、ほんの一時期ですが『戦後のまちがった教育』がマスコミなどで騒がれました。このときに、日本について、戦争について、考えました。自分は高校にはあまり行っていないので、歴史や戦争などについて知りません。戦争について知るには、右翼か左翼に聞くしかないと思った。知り合いの左翼作家に話したら、左翼と右翼の両方の集会に連れて行ってくれました。左翼の集会にいくと、何を言っているのかがさっぱりわかりませんでした。言葉が難しかった。右翼の集会にいくと、言葉がとてもわかりやすかった。生き辛いのは時代のせいだ。アメリカと戦後民主主義のせいだ。そして右翼の活動にはいり、バンド活動などもしました。自分は、今は右翼はどうかなと思います。でも、右翼活動に入ったとたんに、リストカットはなくなったので『右翼療法』も、短期的には効果があるのかもしれません。

 そうしていると「帰ってきた」オウムの人たちがフリーターなどをはじめます。でも、みんな死んだ魚のような目をしている。そして、今度は右翼に入ってきたりする。この頃は、自分と同じ世代で、中学・高校しか出ていない人たちがたくさんいて、そういう人たちが身近で手に取れる雑誌はSPAくらいしかなくて、連載されていたゴーマニズム宣などが影響力があったのかもしれません。そして自分は「風邪をひくと失業」していました。風邪をひいてバイトに出られないと、もう来なくていいと言われる。1週間寝込んでから仕事を始めても、もうその月の家賃は払えないわけですよ。とても払えない。そういうとき、自分は親に泣きついていました。

 ふと気づきました。このまま40代50代になっても、仕事は変わらずにいるとしたら?親が死んだらホームレスになってしまうと思った。そして10年後のいま、本当に同世代でホームレスになる人たちが出てきました。

山田:本に「イジメられてよかった」と書いてありまずか、これはどういう意味ですか?

雨宮:新潟で「こわれ者の祭典(http://koware.moo.jp/)」というものがあります。リストカッターや障害者、アルコール依存症ニートなどの、いろいろな負のステータスをもった人たちが、それを逆に自慢するパフォーマスを行う祭典です。ここの月乃光司さんという方が「本当によかったとは思っていないが、皆で言っていると、そう思えてくる」と言っています。自分もそれは良いと思ったからです。

山田:「生き辛さ」から「貧困」に移っていったいきさつは?

雨宮:ずっと「生き辛さ」について書いてきましたが、この10年、友人や知人、ちょっとした知り合いも含めると、数十人の人が死んでいます。自殺とわかる人もいれば、よくわからない人もいます。「うつ」になる人も多い。あまりにも多いので、これは構造の問題ではないかと考えました。いままでの取材ノートを調べなおすと、いつも、自分のせいだと言われ続けて追い詰められていったり、将来が不安でおかしくなってゆく人が、とても多いことが、改めてわかりました。「生き辛さ」の問題と「貧困」の問題は、とても密接につながっています。

 自分の弟が契約社員になって、翌年、正社員になりました。みんな喜びました。でも正社員になったとたんに、管理職になって労組に入れなくなりました。1日17時間や18時間労働させられました。休憩は昼の30分のみ。飯すら食えない。このようなことがあって、フリーターだけでなくて、正社員も行き辛いことがわかりました。この労働条件は、まるでアウシュビッツのような状態です。

 バブルが崩壊して企業も苦しくなって、しわ寄せが正社員にも及んでいます。10年前と違い、正社員にもフリーターにも過労死する人が居ます。派遣会社は派遣社員を商品として管理しています。管理しているのは商品管理部門。商品ですから、派遣した社員を大切にするのではなく、どんどんコキ使ってくれといいます。仕事のできる人は無理に働かされます。そうやって無理やり働かせて、最後には首を吊って死んでしまう人もいます。私が知っている例では、自殺してしまった男性が死んでしまっていることを、派遣会社も派遣された会社も知らなくて、親が電話して見に行かせて、やっとで発覚したというものがありました。発見されたときには腐り始めてしまっている。そうやって人が死んでも、派遣会社も派遣先の会社も見舞いにはいきません。相手の側が行っているだろうといって行かない。責任の所在が曖昧です。こうやって、頑張りすぎてなくなる人もいるし、ホームレスになる人もいます。

 たとえば、派遣会社は東北・北海道・沖縄・九州などに営業所をたくさんもっています。失業率が高いところで、たいへん良い条件を出して人を釣ります。でも、実際に働いてみると、そんな条件では給料は出ない。30万などとうたわれていても、実際には寮費、ふとんや家具のレンタル料、クリーニング代などといって、いろいろと引かれて、手元には十万ちょっとしか残らないものが多いです。こうやって、絶対に稼がせないシステムが仕組まれています。そして、何かがあるとすぐに解雇されます。地方から出てきた人が、あと3日で寮を出ろと言われて何ができるでしょうか?

 こうして、出稼ぎに出て、行く場所のなくなった人たちがネットカフェで寝泊りするようになります。ネットカフェ以外でも、デパートのトイレの個室、昼間のパチンコ屋、電車、ATMなどでも寝ています。

山田:貧困が拡大していますが、その背景はなんだとお考えですか?

雨宮:労働者派遣法の改悪が原因でしょう。現在、製造派遣と従来の飯場との区別がつかなくなってきています。携帯で呼び出されて仕事をする人たちや、ネットカフェで寝泊りする人たちは、従来の寄せ場とは違い、情報交換ができないので、対抗するためのさまざまな運動が展開できなくなっています。これも原因だと思います。

山田:行政の支援策などはどう思いますか? 小泉政権は再チャレンジなどと言っていましたが。

雨宮:安倍は特権階級なので、貧乏人の気持ちはわからないでしょう。親の財力不足によってフリーターになった人も多いです。行政の支援対策は、時間とお金に余裕のある人しか使えないようなものです。余裕のない人が、1週間仕事を休んで職業訓練校に通うと、家賃が払えなくなります。生活保障がないかぎり、職業訓練を受けることはできません。

山田:選挙で政権が変わりました。今後の予測はどうですか?

雨宮:どこまで押せるかが大切です。いまはひっくり返せる時だと思います。貧困層の多くは、選挙難民でもあります。とくに地方から出てきている人たちは、帰郷するのはたいへん難しいです。一時期、若者が連帯すると練炭心中したりしていましたが、状況が悪くなってから、反撃が始まりました。誰かが声を上げると、人が押し寄せてきます。運動も成果を挙げています。フリーターでもいろいろなことができます。みんな、生きているというだけで当事者です。だから、どんどん関わってほしいです。トークライブが終わったあと、自由と生存のメーデー(http://mayday2007.nobody.jp/)の映像が上映されました。大音量の音楽のなか、踊りながら行進する若者たち「危険なのでデモ隊の中に入らないでください」という警察のアナウンス、ブルーシートを皆で広げてささげ持つ「連帯の行進」の光景などがながれました。

「危ないのでデモ隊に入らないでください」という警察の呼びかけに、会場から笑いが漏れていた。


会場からの質問:選挙に利用されている感じも受けます。大きな労組は貧困問題にどう取り組んでいるのでしょうか?

雨宮:とにかく、派遣労働を以前の状態に戻せ、ということをすべての政党に言っていくしかないでしょう。また、大きな労組は、何もしてくれないのがわかっているので、動きは知りません。自分たちは小さなインディーズ系労組でがんばっています。

会場からの質問:雨宮さんのお話で「右翼の言葉がわかりすやかった」というのは本当にそうなんだろうと思います。運動を展開していくにあたり、現在の状況について、もっとわかりやすくて簡潔な言葉はないでしょうか?

雨宮:言葉がないことについては、自分も大変困っています。大切なのは、マスコミが宣伝しているイメージに乗らないことでしょう。貧乏で困っているので助けてくれ、ではなくて、貧乏だからこういったことができる、という方向性が大切です。デモで行った“ブルーシートで連帯アクション”も、そのひとつです。文化運動として戦うのが有効だと思います。

会場からの質問:名古屋は、トヨタなどの大手企業もあり、仕事も多く、問題も多いです。ですが運動の層が厚くありません。とくに若者がおりません。みんな雨宮さんと一緒に活動したいと東京に行ってしまう。

雨宮:もっといろいろな運動があると良いと思います。東京には、クリスマス粉砕鍋闘争などをやった人たちもいるのですが、名古屋の人たちとの連携を深めて、こういった様々な運動のノウハウを、もっと輸出できたらと思います。いろいろな運動ができると、参加する人も増えて、運動も広がるし、楽になると思います。

会場からの質問:労働組合で活動しています。自分の問題が解決してしまうと、運動に関わらなくなってしまう人がおおいのですが、どうすればよいでしょうか?

雨宮:若い人たちの中には、組合が居場所になっている人もいます。そしてフリーターは一生組合をやめられません。たしかに自分の問題が解決してしまうと、やめてしまう人もいます。ですが、強制になってはいけません。いま自分が関わっている活動は、面白いので人が来ています。やっていて面白いとうまくいきます。これから労組活動以上のものをつくってゆけると思っています。

 質疑応答のあと、主催者でもある、笹島診療所の藤井さんから診療所の紹介、活動に参加した方のお話がありました。

藤井克彦:笹島診療所は、日雇労働者や野宿を強いられている仲間の生活相談をしたり、診察をしたり、さまざまな支援活動を行う、特定のバックを持たない組織です。炊き出しの場で生活医療相談を行ったり、福祉事務所で生活保護申請の支援をしたりしています。平日の火曜日と金曜日には、診療所で生活相談を行っています。その他にも、私たちの支援でアパートに入居した方の支援なども行っています。診療所は、全国の有志に支えられて活動しています。診療所という名前は、少しいかめしい名前ですが、法律の申請上の問題でつけているだけで、野宿を強いられている仲間の支援をする市民団体です。

清水悦子さん:健康の元である食を大切にしてほしい。安心して生活してほしいという思いで活動に参加しています。かつて役所で生活保護の仕事に関わっていたとき、生活保護を受給している人たちが、麺類のスープを全部飲んでしまう、外食ばかりで野菜はあまり食べない人がとても多いことを知りました。役所の予算がなかったので、社会福祉協議会に話をして費用を出してもらい、みんなで集まって、食事を作って食べることなどをしていました。ですが人事異動で関われなくなってしまいました。でも、やはりこうした活動に関わりたかったので、退職後、白川のシェルターで働きはじめました。入所者の多くが、長い野宿生活で高血圧や糖尿病になっているのがとても多いことを知りました。でも、シェルターで出される食事は夕食1回のみで、揚げ物も多い。食事を作って食べる集まりを、栄養士を頼んでやってもらいました。そうすると、味噌汁の作り方がわかった。アパート暮らしの自信がついたという人も増えて、反響がありました。その後、シェルターを出た人たちのその後が気になり、自主的な訪問などをしてみました。そうすると、みんな孤独で、溜まり場が必要だと思いました。そうした頃に、笹島診療所を知って、関わるようになりました。シェルターを出て、野宿生活に戻ってしまう人も多いです。なにかあったときに、SOSの言える関係を作っていくことが大切だと思って活動しています。みんなで集まって食事を作って食べる集まりを、笹島診療所は行っています。詳しくは、下記の笹島診療所までお問い合わせください。

 名古屋には、ここを基盤とする大企業もあり、労働関係や貧困にかかわる問題は多いのですが、運動の層がそれほど厚いわけではなく、いろいろな社会運動にも、そんなに大勢の人が集まることはありません。ですが、今回の集会は、いろいろなものが重なっていた日程であったにもかかわらず、満席になっていました。さすがは人気作家といったところでしょうか。普段はこういった活動に顔を出さない人たちも多数参加していました。また、雨宮さんと同年代のお子さんをもつ人たちの参加も多数見受けられました。何人かの方と話をしましたが、やはり自分達の子供とは、理解しあえない人が多いようでした。それは本質的な世代の差というよりは、雨宮さんのお話にあったように、いろいろな社会変化があり、経験している世界が違うからなのではないかと思いました。

 こうした「市民運動に縁の薄い人たち」が、このような催しを機会に、笹島診療所や、貧困にかかわる問題について、参加したり考えたりしてくれるとよいなと思います。また雨宮さんのお話にあった「労働運動以上の活動」が、いったいどんなものになっていくのか、またそれが名古屋での社会活動にどのような影響を与えてゆくのか、注目していきたいと思います。

笹島診療所(平日の火曜・金曜午後2時〜5時)
〒453-0014 名古屋市中村区則武2-8-13 笹島労働者会館3階
TEL/FAX 052-451-4585
E-mail cl.4sima@fancy.ocn.ne.jp
http://www4.ocn.ne.jp/~sasasima/



オリーブの会のパンフレット(清水さんの取り組んでいる食事会)
http://www4.ocn.ne.jp/~sasasima/forum20061001/cl_sasashima.pdf

(Esaman)