NO 貧困〜名古屋行動集会(4)「貧困は自己責任じゃない」と街頭で訴え (JANJAN記事)

「生き残って再びあおう」は、前回の集


2007/12/12
http://www.news.janjan.jp/area/0712/0711010951/1.php

前回記事:NO 貧困〜名古屋行動集会(3)本集会・お互いの「いきにくさ」を報告 。

 名古屋の中心部で「貧困はイヤン!!! 10・28 街頭大行進」が10月28日に行われました。主催者は反貧困名古屋ネットワーク(略称「なごやPnet」)。

 このネットワークは、前回「貧困に反対する名古屋行動集会」を開いた実行委員会の呼びかけで結成され、名古屋を中心に野宿労働者、非正規労働者障がい者、炊き出しグループ、労組、文化サークルなど、さまざまな活動をしている市民で構成されています。

 この大行進のビラには、東京で行われている「反貧困キャンペーン」のロゴも使われています。

 主催者によると、東京の反貧困ネットワークと名古屋の反貧困ネットワークは、成立の経緯も違い、別の団体なのですが、事の重大さを考えると連携は必須なので、細々とではあるが、連帯しているとの事でした。

 前日に降りしきった雨が嘘のように止んで、少し暑いほどの日差し。会場の公園は「栄小公園」、「栄広場」などと呼ばれている、三越前の小さな公園です。

 この公園は、名古屋市の最も中心部にあり、昼間は家族連れや買い物客、夜は飲んで帰る人やホスト風の人たちがたくさんいたりする、1日中、とても人通りの多い場所です。

 集会の前に、前回も好評だった炊き出しが振舞われました。この日のメニューは、けんちん汁と雑穀おにぎり。予想していたより気温が高かったので、主催者は、おかずはサラダのほうがよかったかなと心配していましたが、たいへん好評でした。

 炊き出しを食べていると、恒例のライブがはじまりました。板谷信彦さんがギターと歌を披露してくれました。「金持ちから儲けを取り上げて、貧乏人で山分けしようぜ(労組の歌)」と歌って、拍手を受けていました。

 えぐれささしまさんはウクレレを弾きながら、華やかな格好で通行人に「ホームレスの人たちがいるかぎり、私達は幸せになれません」と訴えていました。ほかにも、フルートを披露してくれた人、三線を披露してくれた人などもいて、とてもにぎやかなスタートになりました。

 最前列でブルーシートに座って演奏を見ていた参加者の一人は「前回の集会でまた秋に集まると聞いていて、ずっと今日の集会を楽しみにしてたんだ。寒くなってきたし、いろいろと辛いことはあるけど、こうやって仲間が集まると希望が出てくるね。お祭りみたいでいいね。晴れてよかったよ。この歳だと、これくらいの天気のほうが嬉しいよ(野宿労働者・60代)」と、おにぎりをほおばりながら話をしてくれました。

 名古屋の反貧困集会の特徴は、野宿の仲間たちの参加率の高さ、当事者達の意識の高さにあるのですが、この参加率の高さの秘訣は、普段から現場を丁寧に回っているいろいろな市民運動の人たちの努力にあることは間違いないのですが、それだけではなくて、今日のように、参加して楽しい集会であることも、大きいのだろうと思いました。

 すこし盛り上がってきたころに、「市民のみなさん、野宿の仲間達。前回の集会宣言『今残って再び会おう』という約束を守っていただき、本当にありがとうございます。再びあえて嬉しいです」という主催者の挨拶があり、集会が始まりました。


 大行進の出発前に、集まった人たちが、それぞれの現状や集会への思いを話をしてくれました。その一部を紹介します。

 「世の中に貧困が広まる前から、女性達はずっと貧困にあえいでいました。いまこのような状況にあるのは、女性達の貧困状態を放置してしまったことにも原因があると思います。そのような問題も共に考えていきましょう」と菊池夏野さん、会田享子さんたち(女性ユニオン名古屋) 。

 「ビルマでは僧侶たちがデモをして拘束されたりしています。独裁政権によりビルマの人たちの貧困も進んでいます。民主化にはビルマ以外の人の力も必要です。ともにたたかいましょう」。これは名古屋在住のビルマ人有志。

 「東京から歩いて名古屋にやってきて住んでいます。今日はみんな集まってくれて嬉しいです」とは、野宿労働者Aさん(78歳)。

 「期間工として名古屋にやってきましたが、大きな労組には入れなかったので、ユニオンで活動しています。期間工も大変ですが、名古屋に多い外国人労働者の中には最低賃金すら守られていない人も沢山いて課題は多いです」と男性。

 「障害者自立支援法によって、かえって苦しくなって困っています。たとえばヘルパーを頼むとお金がたくさんかかるようになりました。仲間の多くは、お金は少ししかもらっていないのに、お金を取られるようになって困っています」。これも男性。

 「もっと仕事がほしい。元気で働けるのに年齢制限があって仕事がない。今日はがんばるぞ」と野宿労働者Hさん(54歳)。

 いろいろな人たちの発言は、合間に演奏をはさみながら、テンポ良く進んでいきました。それぞれの厳しい状況の報告に、野宿労働者の仲間からも強い励ましの声があがっていました。

 みなさんの発言のあと、この集会の実行委員長の長谷川さんが、次のような話をされました。

 「つい先日の19日、厚生労働省による生活保護基準切り下げのための会議が始まってしまいました(会場から「ナンセンス!」の掛け声)。東京で活動している仲間達による抗議行動が行われましたが、いかんせん開始の2日前に開公示するという奇襲に近いものだったために、私達も十分な対応をできませんでした。

 19日に行われた会議は、来年度の予算で削減を実行に移してしまおうという早急なもので、何年か先の話ではありません。今、生活保護をめぐる問題は新しい段階に入ってしまっています。いままでは、老齢加算母子加算を削減しようという方向で来たわけですが、今回は、生活保護の本体そのものの削減の話に移っています。

 これは生活保護受給者だけの話ではありません。生活保護の切り下げは、他の全ての福祉の予算、生活基準の切り下げにつながります。19日の会議のような策動に対して、抗議する運動を起こしていくとともに、様々な分野の人たちとの横断的な、さらなる共闘が必要です」。

 次に、前回の集会でもパネラーとして登場した笹島診療所の藤井勝彦さんの話がありました。

 藤井さんの紹介のときに、司会者から、生活保護について、画期的な判決を勝ち取った「林訴訟(*)」についての紹介がありました。藤井さんは、林訴訟を戦った人です。

 「誤った生活保護の解釈がまかり通っています。働ける人でも、仕事を探してみつからなければ生活保護を申請してもよい。こんな当たり前のことを裁判で認めさせるのに、数年かかりました。誰でも最低限度の文化的な生活を営む権利がある。若いとか、住居の有る無しは関係がない。住所の有る無しによって、受給の形態は変わりますが、形態が変わるだけで受給はできるのです。

 この裁判の終わった日から、明後日で12年目になります。いま、派遣労働の人たちが追い詰められています。住む場所がなくなってネットカフェを泊まり歩く人もいます。

 厚生労働省は、そういう人達と、野宿の仲間を分断しようとしています。安定した住居をもっていないという点で、ネットカフェを泊まり歩いている人たちの問題と、野宿の仲間達の問題は、同じ課題をもった問題です。私達は分断を許さず、生きる権利を認めさせる必要があります」。

 藤井さんの話のあと、集会宣言が読み上げられ、集まった人たちの拍手が湧き上がりました。この日に採択された集会宣言の内容を紹介します。

●ひとつ、貧困は「自分のせい」じゃない!
 社会に貧困が拡大しています。ですが、その原因の多くは「自分のせい」ではありません。貧困拡大は、雇用の不安定化(あらゆる仕事の派遣化・日雇化)と、福祉の切り下げによる社会の変化に原因があります。

●ふたつ、貧乏人は手をつなごう!!
 貧困が襲来しているにもかかわらず、社会保障政策は切捨てが進んでいます。厚生労働省は19日、生活保護を切り下げる会議をはじめてしまいました。あらゆる福祉水準が切り捨てられようとしています。厳しい状況の中、貧乏人の味方は、おなじ貧乏人、あるいは、明日はわが身のあなたなのです。

●みっつ、人間らしい生活と労働の保障をもとめよう!!!
 このような「働いても食えない」状況を変え、すべての人に生活権の保障が行われる社会を実現しましょう。私たちは、本日の集会と大行進を行うことで、具体的な行動の第一歩と示したいと思います。


集会宣言の採択のあと、大行進が開始されました。「貧困をなくして人間らしい生活を」と書いた横断幕や「貧乏人集まれ」の旗を先頭に、貧乏人みこし、ピースマーク、イラク反戦のとき以来活躍しているレインボーフラッグなど、色々な旗指物が続きます。

 デモ隊は栄小公園を出発し南下、矢場町まで南下したところで左折。栄の大通り公園を北上して、栄小公園に戻ります。名古屋の繁華街を、ぐるっと一周するコースです。これはイラク反戦の時、デモ隊が行進したコースのなかの、長めのコースにあたります。イラク反戦の時には一時期、千人を超えるデモ隊が同じコースを歩いたのですが、今回は100人強ほどの人数です。ですが、警備の人たちの数は、イラク反戦のデモが最も盛り上がったときのように沢山きていました。

 通行人の人たちの目には、この大行進は、かなり変わった集団に写っていたようでした。いままでのデモに多かった「反対」の文字ではなく「貧乏」という文字がいくつも旗に踊っているのをみて、雰囲気が違うと思ったのでしょう、立ち止まって何を訴えているのか見極めようとしている人たちが多かったように思います。

 若い人の中には、貧乏人の大行進ということが分かった途端に、身振りで「私もだ」とアピールする人もいました。また、観光で名古屋にやってきていた外国人のグループが話しかけてきて、反貧困のデモだとわかると、とても重要な活動だということで、列に入って写真を撮る一幕もみられました。イギリスから来た人たちとのことでした。

 イギリスでは、野宿でなくても、友人の家を泊まり歩いていたり、安定した住居をもたないということが「ホームレス」と認められていて、行政も様々な対策を講じているという話なので、一般の人達の意識も高いのだと思います。



 今回の集会と大行進に参加して思ったことは、「貧困襲来」と騒がれ出してから、それほど時間はたっていないのに、本当に、いろいろな分野で福祉の切捨てや、労働条件の悪化、などが進んでしまっていることに驚きました。とくに、生活保護基準の切捨ての話は、信じられないほどの急ピッチで進んでいるようです。

 十分な対応ができていない…というか、知らない人の方が多いと思います。それとも、他の分野でも悪化がひどくて、把握しているほどの余裕がないのでしょう。これでは、気がついた時には手遅れ、ということにもなりかねません。

 しかし、今回のように、苦しい状況の中でも、いろいろな立場の人たちがお互いに手を取りあって、なんとか貧困に対抗していこうという運動が継続されていることに、少なからず希望を感じました。名古屋での取り組みに、引き続き注目したいと思います。


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【名古屋・林訴訟】
 日雇い労働者の林さんが、失業と疾病で生活保護を申請したのに対し、中村区社会福祉事務所は医療扶助のみを数日支給し、廃止。野宿を強いられたことにたいして、生活扶助・住宅扶助の支給と、廃止処分の違法性を争い、処分取消と国家賠償を求め1994年5月に提訴した裁判。この裁判で、住居がないことや稼働能力があるから保護が受けられないという運用は、法律上は違法であることが明らかになった。

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(Esaman)
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※都合により、記事掲載が遅れました(編集部)