名古屋市中村区役所の非情な対応に家の無い人々が泊り込みで抗議

Esaman2009/01/20
すでにマスコミなどでも報道され、国会質問までされている事件なので、ご存知の方も多いであろう「名古屋での野宿者対応」について、1月15・16日と現場に行って話を聞きました。

http://www.news.janjan.jp/living/0901/0901170596/1.php

中村区役所2F、ホールの廊下の様子。すでに大半の人がアパート入居のために移動してまばらだか、14日の夜は大勢泊まり込んでいたとのこと。1月15日夜。
 ですが、中心となって頑張っている、笹島診療所の藤井さんをはじめとするスタッフは、連日の徹夜作業で大変疲れており、細かい数字などをまとめて発表する作業が、全て行き届いているというわけでもありません。

 参加をして、スタッフとしても少し手伝い、いろいろと見聞きした断片的な情報をもとに、時系列と相談人数を、わかる範囲で紹介します。

 ここで紹介する数は、連日参加している人に聞いて、話が前後しているものを、なんとかまとめてもので、正確ではないかもしれません。また、連日の混乱で、主催者も正確な数を把握しているとは限らないと思いますので、あくまで参考程度の数と思ってください。

●1月5日:役所の仕事はじめの日、朝の時点で40人を超える。最終的には80名ほど?
●1月6日:午前だけで100名を超す。
●1月7日:100人以上いたところに、一時宿泊施設の船見寮からの片道切符で60人が加わる。宿泊所は完全にパンク。民間社員寮への対応が始まる。
●1月8日:相談者に、さらに30名加わる。総数は200を超えた?
●1月10、11、12日:役所が休み。
●1月13日:名古屋市が、緊急宿泊所としての社員寮は以後紹介しないと発表。11名のみカプセルホテルに。紛糾。泊まり込み開始される。相談者は131名?
●1月14日:60名強増える。泊まり込みも継続。相談者は107名。追い出そうとする行政との間に押し問答が発生。マスコミに報道される。
●1月15日:夕方になって「市ではなく区が」6ヵ月のアパートの入居と生保の対応を開始。30名ほどがその相談に行く。相談者は100名?
●1月16日:午前だけで60人以上の相談者。

 まず5日ですが、前日の午前に越冬のテントが撤収をしたので、その晩はなんとかどこかで過ごした人たちが、中村区役所に集まってきました。

 とはいえ、例年参加している人の話では、役所の仕事はじめに申請にいく人は、毎年10人未満程度だったものが、この日は数十人も並んで、大変なことになったそうです。

 行く場所がないので行政は「緊急宿泊所」として、カプセルホテルを手配。13名が宿泊したとのこと。

 これ以後、笹島周辺に少しのこっている安いドヤ(1,800〜2,100円ほどの宿泊施設)を紹介されたり、市の施設や借り上げた施設にその晩は泊まる、ということになったようです(全員ではない?)。

 「派遣切り」ではじめて行き場がなくなった人たちは、お金がなくなったとしても、野宿生活をある程度経験しないと、炊き出しの場所や、利用できる制度や申請の仕方などはわかりません。

 そこで笹島界隈の関係者人たちは「来た人は全員どこかに入れる」をスローガンに、名古屋駅前でチラシまきをしたり、名古屋駅周辺で呼びかけを行ったとのことでした。

 6日、午前だけで100名を超す人たちが押し掛けて、役所の窓口もパンク状態、緊急宿泊施設も、パンク状態に。

 なんでも、すでに船見寮(港の人気のあまりない地区にある大型の宿泊施設)に泊っている人で、なんらかの対応(詳細は不明。生保獲得?入院?)で出て行った人の分を、緊急宿泊所に止まっている人を入れて……などと対応していたようで、対応は遅々として進まなかったようです。

 7日、百数十人を超える、すでに並んでいる人のもとへ、年末年始の一時宿泊施設である船見寮(281人が最終日まで入所していた)から、大量の人たちが合流(60名ほど?)。相談者は107名?(早朝の午前4時ころから9時ころまで、船見寮と名古屋駅をバスでピストン輸送して、人を片道切符で送り出す、というのは毎年行われていることだそうです)。

 既存の緊急宿泊施設が、完全にパンクしてしまったこの日から、行政は民間の社員寮?を、緊急の宿泊施設として紹介し始めました。その寮は「鶴里」という、少し郊外に出たところにある建物で、詳細な経緯もわからないので、界隈の人には「ツルサト」という名前で呼ばれることになりました。「ツルサト」は、4階建なのですが、4階にしかトイレがないなど不便な点が多く、加齢や野宿生活、栄養失調などで、足の弱くなっている人も少なくないので行政への要望もいろいろと出ていた、とのことでした。

 8日、数百名を超す相談者達に、さらに30名ほどが合流。総数は200名を超えていたのではないか、とのことでした。この日が金曜日で、土日月と役所が休みになるので、緊急宿泊施設にも何日か泊まる人が出た、とのことでした。

 行政の「緊急宿泊所」の対応ですが、当初は1日づつしか認めなかったが、マスコミも市民も沢山見に来ていることに配慮してか、途中から、2〜3日づつ出すようになり、人が集中して並ぶことが少なくなってきた、とのことでした。

 9日、あるお年寄りは、民間のやっている福祉寮のようなものを紹介されて、そちらに行ったものの、時間が間に合わず、結局戻ってくる、という状態になった模様。

 また現場に特攻服を着た右翼のような人が見に来ていたとのこと。貧困ビジネスをしている人か、野次馬かは不明。この日、名古屋市長が東京に飛んでいって、名古屋の事態を説明。

 13日、この日から相談者が「切られ始めた」。相談者は、支援が把握している限りでは131名。11時、行政は緊急宿泊施設が満員になり、これ以上紹介はできないとの張り紙を張る。市側「もう限界だ」。21時すぎ、追い出そうとする市の職員ともみ合いとなる。22時半、翌日話し合いの場をもつことで合意。泊まり込みが開始される。大量の毛布などが運び込まれ、泊り込みをしているところに、共産党の人たちが宿泊代をカンパすると登場、それでも、何人かは支援者と共に残り、泊り込みました。

 この日に緊急宿泊所に入れた人は、カプセルホテルに11人?だったそうです。その日に宿泊所に泊まれるかどうかは、その日の午後の遅い時間にならないとわからず、大変なことになったようです。30人以上が、宿泊所に泊まれなかったとのこと。

 この日にあった、行政職員とのやりとり。

行(窓口の行政の人):「本日はもう空きがないので、また明日お越しください」

笹(笹島の支援者と当事者):「また明日といっても、みんなうちがなくて野宿するしかないんですよ」

行:「知りませんでした。明日またお越しください」

笹:「明日までどうしろというんですか。野宿しろというんですか」

行:「知りません」

 14日、60人強の人たちが、新しくやってくる。支援の把握している相談者は107名。4時間にわたった交渉では、支援者側は、7日まで利用していた船見寮の解放を要求(定員500名)。市側は老朽化を理由に拒否。交渉は物別れに終わり、この日も泊まり込みが行われた。緊急宿泊所92名、ツルサト(社員寮)71名、紹介なし15名。

 15日、夕方、筆者が現場に行く。支援の把握している相談者は100名。「新しく紹介はできない」としていた行政は、夕方に、一転してアパートを紹介すると発表。ただし、面子の問題なのかどうかわからないが、この対応は、名古屋市ではなくて中村区がやっているとのこと。

中村区役所2Fホールの壁に張り出された、15日から開始することになったアパート入居の説明と、それぞれの「アパート」の案内。1月15日夜。
 それは不動産会社が経営している、生活保護の福祉アパートのようなもので、市内にいくつかあり、家賃は2万5,000〜3万5,800円(生保の上限額)。管理料などを含めて、10万強出せば3食付きとなる。生保を取って入った場合、手元に残るお金は2万円くらい。食事の用意がなければ、光熱費、管理費など込みで6万強ほど、というものでした。もちろん、そんなお金などないので、みんな並んでいるのですが……。入居後、生保をとれるという保証があるわけではないそうなので、大丈夫な話なのかな、という話でした(なにぶん、発表されて間がないですし、実際に入居した人の話も聞けていないので、詳細は不明です)。この日は、残っていた30名ほどが、その「アパート」を紹介されて行ったようだ、とのことでした。

 またこの日は、役所の対応として切られて、帰る家のない人は居なくなったので、泊り込みそのものは行いませんでした。ですが順番待ちがとても多かったので(整理番号が90以上)、その間に仕事の面接に行って、戻ってきたら窓口が閉まっていた、という人もいました。

この日は午前だけで、60人を超える人たちが列を作っていた。1月16日朝。

 16日、朝、筆者が現場に行く。午前中だけで60人。行政もお茶を用意したりしていました。また、ご飯を配っている人たちもいました。行政は、相談者たちに「カンパン」のようなものを提供していましたが、乾いているモノですし、年寄りもいるので、それだけでは困る、ということで、お茶も出るようになったとのことでした。筆者が参加した時にも、朝、あたたかいお茶を入れたポットが2つ出ていました。

 朝から現場には、たくさんの相談者がひしめいており、その人たちに、2階ホールに急遽設置された机に座った職員が、整理番号を渡していきました。その向かいの机には、色々なチラシを置いた机があり、診療所のニュースや、名古屋市の臨時職員募集の案内にまじって、生活保護の申請書まであります。

 整理番号順に呼ばれるのか、と思いきや、そうでもないらしく、病院などの対応が必要なひとが優先して呼ばれるとのことでした。番号を呼ばれた人は役所にいって『相談』をしますが『水際作戦』にみられるように、行政は色々な理由をつけて、生活保護を申請させないようにしたりするので、とにかく、申請書を渡すことが大切だそうです。一人で不安な人には、支援者が付き添っていました。

 生活保護の申請をした場合、手続きの2週間の間『働く意思があるか』ということで、申請者は、職安に行ってハンコをもらってくる仕事があるそうです。ですがその場合も、職安や面接にいく場合、事前に役所に相談して、交通費などをもらうことを忘れないように、とのことでした。

 また、この機会に病院に通っておくことも大切なので、内科や歯科など、それぞれの科に1日かけて通うこともコツである、という話を、支援の人がしていました。

 確かに働きはじめると、医療費の負担も大変ですし、特に野宿を少しでもしていた人や、高齢の人は健康を害していることが少なくありません。不安定な生活を強いられている若い人も、同様でしょう。

 また、中村区役所にはシャワーが2部屋あるのですが、待ち時間の間も、それを利用して温まることを勧めていました。野宿をし始めると、なかなかシャワーは使えませんし、チャンスがある時にに、温まっておくことは、とても大切です。これらは、たいへんな知恵だと思いました。

 この日は、派遣切りで家も失って、しばらくネットカフェなどに泊まっていたが、お金が無くなってしまった若者、年金があるものの、家が無く、野宿をしているご老人、派遣切りではないものの、もう半年近くも仕事が無くて困っている、長く日雇いで働いていた人などが、相談の列に並んでいました。

 越冬や炊き出しと比べて、全体的な特徴としては、年配の人も多いのですが、若者が混じっている率が、だんだんと高くなってきている、という点です。

 おそらく、年末に派遣切りをされた人たちは、しばらくは手元のお金で、ネットカフェやカプセルホテルを渡り歩いていると思います。切られた時期によっては、1月にもう一度、賃金の支払いがある人もいると思います。そのような人たちが、手元のお金を使い尽くして、本当の意味で『路頭に迷う』状態になってゆく例は、これから徐々に増えてゆくのではないか、と思いました。
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非正規雇用と人権・貧困問題