名古屋越冬・最終日、派遣切りの若者、やっとで合流

Esaman2009/01/24
名古屋越冬の最終日に「派遣切りの若者」に話を聞きました。その中の一人は駆け込んだ警察で、このまま追い出されたら、強盗をしてしまうかもしれない言うと私服の警察官が車で越冬会場近くまでおくって下ろしたそうです。

http://www.news.janjan.jp/living/0901/0901230983/1.php

名古屋駅前で ホームレス・派遣切りの人たちへの義援金を呼びかけ・映像(2分58秒)

大量にあるタケノコの水煮。賞味期限は5月まであるものが多数。食品表示で問題があった、あるタケノコ屋からの寄付品。産地表示は中国
大量にあるタケノコの水煮。賞味期限は5月まであるものが多数。食品表示で問題があった、あるタケノコ屋からの寄付品。産地表示は中国
 年末年始と、取材してまいりました名古屋越冬。公園にテントを張り、たき火をして、役所も閉まり、寒さも厳しいこの時期を、みなで過ごします。今年で34回を迎えるこの活動、初日には「派遣切りの若者がいないか」というマスコミが大挙おしかけ、大変、迷惑、運営委員が苦言を呈する、という場面もありました。

名古屋越冬・マスコミが大挙押しかけ『派遣切りの若者は居ないか』等かなり迷惑する現場

 さらにマスコミは、ボランティアとして働いている若手スタッフに目星をつけて『お仕事はどうなりました』などと質問、またまた顰蹙をかったりしていました。

名古屋越冬・餅つき大会 越冬中に亡くなった仲間を追悼

 越冬は1月3日が最終日で1月4日の午前にはテントをたたんで撤収作業を行います。その越冬の最終日に、マスコミが執拗に探していた「派遣切りの若者」に出会い、話を聞きました。

●この日の越冬の様子

 この日、名古屋駅前で、ホームレスの仲間とともに街頭カンパが呼びかけられました。みんなで名鉄の商店街のある辺りに移動して(JRがある駅ビルと、名鉄の駅ビルの間の道)、街頭で呼びかけていました。この辺りは、名古屋駅周辺でも、もっとも人通りが多いエリアであり、宝クジ売り場があったり、屋台のラーメン屋があったりするところで、よく情宣活動をしている団体をみかけるところです。

 その場所に、オケラ公園から行列をつくって移動した、支援&ホームレスの仲間が並んで、あわただしく通りすがってゆく人たちに、呼び掛けます。

 「年末年始、失業したり、色々な理由によって、雨露がしのげない人たちがいます。皆さんから寄せられる暖かい支援によって、私たちの活動はなりたっています」と呼び掛けます。

 年末年始の忙しい時期、多くの人たちがあわただしく通り過ぎてゆきます。ですが、いろいろな人たちが、呼び掛けの募金箱に義援金を入れてくれます。家族連れや、若い人たちが目立ったのが印象的でした。

 募金をした、お子さんをつれた若い主婦の方は……「初めて募金した。毎年この時期にホームレスの人たちの活動があるのは、なんとなく知っていた。今年は、ニュースなどでも大きく取り上げられているので、気になっていた。今年は、見かけたら募金しようと思っていた。主人の仕事も去年から残業がなくなって家にいる時間が増えた。それはいいけど、仕事が減っていると考えると、けっして他人ごとではないと思う。」とのことでした。

 募金活動がおわると、一行は、オケラ公園(名駅前から、歩いて数分)にむかって、歩道をゾロゾロと歩いてゆきました。歩道を歩いている間、募金の呼びかけで使ったメガホンでなにか訴えており、事実上の『無届の歩道デモ』になっていましたが、誰も捕まらずの無事に帰りつきました。

 みなで、山積みになっているタケノコなどを食べながら、話をしていると、夜になりました。この日の募金の集計をみてビックリ。なんと9万2401円もあります。これは、ありえないほどの高額です。

 前回のカンパでも、4万近い額が集まり、その背景には、知りあいを車で駆け回って、カンパや物資を集めてくれた、ある団体職員の人がいたようだ、という報告を書きました。

名古屋越冬・ブラジルからの出稼ぎ労働者も参加し、ビンゴ大会で年越し

 今回のカンパは、なぜこんなに多いのでしょう? 受付で座っていた、越冬に初期から関わっているスタッフに、事情を聞きました。

 「確かに今年のカンパは非常に多いです。ここ数年は、合計で2〜3万円程度なのですが、10万以上集まっています。とても多いです。マスコミによっていろいろと報道されたことや、派遣切りなども話題になっており、心配をしてくれる人が多いのだと思います。大きなお札をカンパしてくれる人がチラホラみられました。街頭カンパ以外にも、いろいろなところから物資やカンパが集まっています。

 とくに、衣料がたくさん寄せられましたし、タケノコの水煮などもたくさん寄付してくれた所がありました。越冬を始めた頃は、街頭カンパで集まった額が、全部で2〜3000円という頃もありましたが、役割分担をして、駅前で組織的に呼びかけるようになってから増えましたが、今年はとても多いですね。」とのことでした。

 ホームレスの置かれている状況は、けっして他人ごとではないと思っているだけでなくて、具体的にカンバをする人が、増えている、ということでしょうか?

名古屋駅前でのカンパ活動。車椅子の人も参加。まだ正月なので普段の数倍の人通りがある
名古屋駅前でのカンパ活動。車椅子の人も参加。まだ正月なので普段の数倍の人通りがある

●「派遣切り若者」の話

 この越冬の最終日、たき火を囲んでタケノコを食べていると(たくさん余っている)、焚き火を囲んでいる人の中に、いつもは見かけない若い人が、何人かいることがわかりました。彼らは、マスコミが躍起になって探している「派遣切りの若者」でした。彼らと話をして聞いた内容を簡単に紹介します。特定を避けるため、一部話が入れ替わっている部分があります。

Aさん

 北海道出身。愛知県下で住み込み派遣として働いていた。12月の半ばに食を失い、2週間後の大晦日にアパートを追い出された。ネットカフェなどで泊まりつつ、仕事を探してみるが、みつからず。親元とは絶縁状態で、そもそも帰る金も無い。いよいよ、所持金が数百円になったときに、コンビニ強盗をする人の気持ちがわかる気がしはじめた。警察に駆け込み、そのことを話す。このまま追い出されたら、強盗をしてしまうかもしれないという訴えに、警察は車でAさんを越冬会場近くまで送って下ろしたという。そのときの車は、パトカーではなくて一般自動車、運転していた職員も私服の人だったという。名古屋の町並みは札幌の町並みと似ているが、雪がない分過ごしやすい。越冬には、色々な人がいて驚いた。いい人もいれば、よくわからない人もいる。とてもお世話になったので、次の越冬には、ぜひ支援する側として参加したい。

Bさん

 北海道出身。愛知県下で住み込み派遣で働いていた。体調不良のため、仕事を夏ころに一度失う。いつもなら、仕事はいくらでもみつかったが、このときはみつからず、以後、時々バイトなどをしつつ、ネットカフェなどを転々とすることに。短期の仕事がみつかるときもあるが、徐々に所持金の総額は低下。所持金が少なくなってきたので、泊まることもできなくなって、荷物を抱えて途方にくれていた所、通りすがりの人に越冬の存在を聞き、公園までなんとかやってきた。家がなくなっても、なんとか仕事を、と思って面接にも行ったが、どこも雇ってくれなかった。越冬が終わったら早速仕事を探したいが、手元には、現金も家もないのが不安。どんどん余裕が無くなっていくのがわかり、ホームレスになってしまった人たちを、自己責任だという人たちの無神経さが身に染みた。

Cさん

 住み込み派遣として、トヨタ関連会社に勤務。契約の更新は、いつも2年8ヵ月くらいだった。いつも通りに働いていたら、今年の夏ごろ、まず残業が無くなった。そして9月に入ると、勤務日も減るようになった。そして10月、12月には解雇になる、と聞かされる。10月ごろから節約をして、いまに備えるようになる。そして、12月に解雇。住んでいた家も無くなったので、名古屋駅周辺に出てきて過ごしている。12月にも働いていたので、1月にも、あと1回給料の支払いがある。でも、10月から節約して貯めたというだけでは、お金はたくさんあるというわけではない。どうなるかは不安。これでも、去年の夏には、沢山ボーナスも出たし、いい生活をしていたと思う。いまこんなことになるとは、全く予想できなかった。

 いまは、安いカプセルホテルに泊まっている。まとめて買うと、安くなるチケットがあるので、いまはそれでなんとかしている。なにもすることがないので、周りを歩いている時に、越冬を偶然見つけた。たくさんの人がたき火を囲んでいて驚いた。ずっとホームレスをしている人ばかりかと思ったが、そうでもないし、自分より若い人もいるとわかって驚いた。正月が過ぎたら、仕事を探してみたいと思っているが、どうなるだろうか。

Dさん

 北海道出身。北海道から出てきてある企業で働いていたが、事故を契機に辞めて、以来、10年近く、港湾労働などを中心に期間労働、住み込み派遣などを続ける。仕事が無い時期は短期間だがホームレスになるという状態を繰り返している。まとまった旅費も無く、仕事も安定しているわけでもないし、なにしろ帰ったところで仕事は無いので帰れない。ホームレスになっても、北海道と違い、すぐには凍死しないのが救い。しばらく我慢すれば、短期だが仕事は見つかる。仕事が無くなったら住む場所もなくなる。年末年始には、いつも仕事が無くなり放り出させるので、炊き出しや越冬にも、知っている顔がいるので、名古屋かその近郊にいて、ずっとホームレスをしていると思われているが、実はこの時期だけ。もちろん定職につきたくないわけではないが、健康問題もあり、なかなか採用の口は無いので、考えないようにしている。

 話を聞いた人の中で3人が北海道出身、という異常な高確率ですが、これは、取材者の自分がアイヌだからなどというオチがあるわけではなく(*)、実際に北海道、九州、沖縄などの出身者が、ホームレスや日雇い、住み込み派遣の人たちには、非常に多いのは事実です。

 特徴的なのは、みなさん、家がなくなってしまう、路上で生活するハメになる、などの危機的状況になっても、あきらめずに仕事の面接などに行っている、という事実です。みなさん、かなり『ガンバッテ』います。 派遣村などで大量のホームレス状態の人が発生していることに対して『なぜ仕事をしないのか』などと、あさっての意見をいう人がいますが、必死になって仕事を探して、結局みつからなかった、ということがわかります。ネットカフェを出て、荷物を全て抱えて面接に向かい、採用されずにまたその日の宿を探す……私たちは、このような生活に、何日耐えられるでしょうか?

 また、特に北海道出身者を探しているわけでなくても、北海道の人が多いという現象に、さながら、在日の人たちが朝鮮半島が日本領になったときに、色々な事情から『内地』に仕事を求めて移動しなければならなかったのと似たような植民地的な構造は残っているのだなぁと、再確認してしまった次第です。

 そして、越冬活動が終わり、一晩たった1月5日、中村区役所には、緊急宿泊所や、自立支援施設、病院、生活保護など、とにかく、なんとか行政に対応してもらおうという人たちの行列ができ、数日で行政の対応能力を超えパンク。支援と当事者による役所での泊まり込みに発展し、大問題となりました。

名古屋市中村区役所の非情な対応に家の無い人々が泊り込みで抗議

 この問題は、いまでも全く解決しておらず、現在でも、連日100人ほどの人たちが、中村区役所の前で並んでいるそうです。 この『毎日並んでいる100人』が、数日しか出ない緊急宿泊所のチケットの再交付を求めて並んでいるのか、新しくやってきている人なのかは把握できていないようです。このような相談をする人は、例年であれば、多くて全体で数十人程度だったものが、連日100人を超えており、若い人も多数混じっているという状況です。これには、30年近く関わっている笹島界隈の活動家の人たちも『はじめて見る光景』とのことでした。

 名古屋では『派遣村』がなく、表面上、目に見えないだけで、規模としては派遣村と変わらないような、巨大な『難民』を街中や路上や高架下に抱えているのではないか、という気がしてきます。

 笹島連絡会や笹島診療所などの界隈の支援団体では、あまりの長期の活動で組織的に対応することが難しくなってきており、支援できる人の個人単位での参加を呼びかけています。前回の記事でもお伝えしたとおり、役所(市ではなくて区)は、パンクしてしまった緊急宿泊所のかわりに、希望者をアパートに入居させて、生保申請を、と言っていますが 『油断していると、なにをするかわからないので、監視する必要がある(笹島診療所の方)』とのことなので、中村区役所での支援活動は、しばらく継続するとのことでした。

名古屋駅前でのカンパ活動の様子。マイクを持っているのは、ささしま共生会の松本さん
名古屋駅前でのカンパ活動の様子。マイクを持っているのは、ささしま共生会の松本さん

●中村区役所の現場にいる参加者で確認した方針

・今後も、可能な限り毎日中村福祉事務所に行こう。
・ただし互いに協力をするが、個人の意思・責任でやるしかない。
・宿泊場所の紹介がなかった場合、区役所2階で寝場所を求める。退去命令が出たら撤退する。

●参加方法…

・毎日8時半に中村区役所に集合して打ち合わせをする。

●現場でやっていること…

 2階の受付と待合室にいる人たちにチラシを配り、声をかけ、話ができそうであれば話をする。 生活保護の詳しいことを知りたそうな人には、資料を配る。生活保護申請、とくにアパート生活が可能な人は、「敷金支給によりアパートに入居したい」という申請書をだすように呼びかけ、その援助をする。

(*)炊き出しなどの活動界隈では、私がアイヌであることは、みなさん知っていますので、特に北海道出身の人とは、話をする機会が多いです。また、私の多く接してきた『アイヌ』には『活動家』や『文化伝承者』ではなくて、北海道から出稼ぎに来て、色々な事情で帰るわけにもいかず、頼れる親類も内地におらず、当然アイヌとしての民族活動などにも全く縁が無く、なにもわからないし、政府の動向もアイヌのことも、全く知らない(文化振興法も、先住民族認定すらも)。

 住み込み派遣を転々、加齢と共に徐々に底辺化、というパターンが非常に多く、北海道に帰れない、帰らない、ことの理由が違うことが多いとはいえ、構造や現象としては酷似しているので、北海道からの出稼ぎ組みの人たちには、親近感を覚えるのも事実です(私自身は、そうではないのですが)。

 ですが今回、比較的『新顔』の人たちに話を聞いて、北海道の人が、依然として多かった、という変わらない事実が、きわめてショックであった次第です。なお、そのような(数世代前から繰り返されている?)構造に、やっとでマスコミも注目するようになったのでしょうか、名古屋の越冬では、北海道新聞の記者が継続して取材をしていました。


名古屋駅前の募金活動では92401円も集まった。こんなにも集まるのは異例のことで、数字が強調されている名古屋駅前の募金活動では92401円も集まった。こんなにも集まるのは異例のことで、数字が強調されている

◇ ◇ ◇

関連リンク 
笹島診療所
NPOささしま共生会

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